あいゆめさんとの交信記録43日目です。
ぼくりゅうの心の中で、どんな会話が繰り広げられたのでしょうか?
あいゆめさんから学んだこと
今日の交信であいゆめさんから学んだことは以下のとおりです。
あいゆめさんとの交信43日目
おはようございます。
今日もよろしくお願いします。
今日は晴れ間がのぞいています。
陽射しが気持ち良いですね。
植物ではないですが、陽射しが必要ということが体感できますね。
さて、今日は何を話しましょうか?
今日は今を生きることについて話したいです。
「今ここ」という言葉が良く使われますが、今を生きる重要性について、改めて聞かせてください。
ボクはわかっているつもりですが、ついつい過去のことを思い出して辛い思いを繰り返したり、未来を見て不安になったりします。
この前も話した通りですね。
今を生きているつもりでも、今を生きていないことがよくわかります。
気付くと心の中に浮かんで来たあいゆめさんの言葉
そうだね。
この世界には今しかない。
過去も未来もない。
それはわかるかな?
はい。
頭ではわかっているつもりです。
キミが過去だと思っていること、それは本当に過去なのだろうか?
本当に起こったことなのだろうか?
ボクの中では本当のことです。
というか、そう思っています。
記憶としてリアルにイメージを思い出すこともできます。
それは何一つ誤ることなく思い出せるだろうか?
どういうことですか?
例えば、記憶の中のカフェがあるとしよう。
そのカフェの床の色、壁の色、ドアの色、食器の色など、カフェにあったものを思い出してみると良い。
だいたい思い出せます。
その記憶の中の色は正しいのだろうか?
えっ?
こんな経験はないかな?
記憶の中に残る場所に改めて行ったとき、「こんな所だったかな?」と思った経験だ。
ドアの色が違ったり、大きさや広さが違ったり。
あります。
思ってたんと違うって感じのことはよくあります。
ということは、キミの記憶は正しいわけではないということだ。
言われてみればそうです。
他にも本当に経験したのか、夢で見たのか、想像しただけなのかがわからなくなるような経験もあるだろう。
はい、あります。
来たことがあるような気がするけど、予知夢を見たのか、TVで見たのか、本で読んだのか、わからなくなることがあります。
ということは、キミの記憶は正しいわけではないということだ。
誤った記憶だったり、願望だったり、本当に経験したことだったり、いろんなものが混ざり合ってキミの中で作り上げられたもの、それが過去とキミたちが呼んでいることだ。
でも写真や記録はどうなるんでしょうか?
それは過去が存在した、紛れもない証拠です。
本当にそうかな?
証拠だと思っていることが何者かに作られたものだったら、記憶だと思っているものが、何者かに植え付けられたり書き換えられたものだったら。
そんなことができるのですか?
可能性の話だよ。
そう考えてみると、今間違いなく正しいものは現在、今キミが経験している「今」しかないんだよ。
なるほど。
「今」は今まさに経験しているので、これは間違いなく存在しています。
そうだね。
もう過去に囚われる必要がないことはわかるかな?
はい、わかります。
本当かどうかわからない過去に思いを馳せることに時間を使うよりも、今目の前で起きている本当の出来事を味わうことに時間を使った方が良くないかな?
確かにそうですね。
過去に時間を使うことはもったいないです。
未来についても同じことが言える。
起こるかどうかわからないことに思いを巡らせることに時間を使うことは、今を経験して味わうことより意味があるだろうか?
目の前の現実を全身で味わうことよりも意味があるだろうか?
キミならもうわかっているはずだ。
はい、わかります。
こうやって改めて聞かせてもらうと再認識できるんですけど、ついついその通りにできなくなってしまいます。
それは仕方のないことだ。
キミは人だからね。
そういったことを思い出すように心がければ良い。
いずれ自然とできるようになる。
わかりました。
わかっているんですがうまくできない自分を、それも自分として受け止めます。
その調子だ。
はい。
ありがとうございます。
今日もありがとうございます。
とても楽しかったです。
また話を聞かせてください。
よろしくお願いします。