あいゆめさんとの交信記録49日目です。
ぼくりゅうの心の中で、どんな会話が繰り広げられたのでしょうか?
あいゆめさんから学んだこと
今日の交信であいゆめさんから学んだことは以下のとおりです。
あいゆめさんとの交信49日目
こんばんは。
今日は夜の心日記です。
今日は朝から義母のガン封じ祈願に行ってきました。
症状は重くなく通院で治療できそうなのが不幸中の幸いですが、少しでも負担が軽く完治するように祈ってきました。
その後、以前住んでいた辺りを散策して帰ってきました。
状況して初めて住んだエリアです。
まだ数ヶ月しか引っ越してから経っていませんが、懐かしく思う街になってしました。
ボクが謝るようなことを言ったときには教えてくれるよう頼みました。
環境としては抜群なので「また住めると良いね」と妻と二人で話していました。
ガン封じのご祈祷はお金を払うわけなのですが、この金額にはどんな意味があるのでしょうか?
より良い祈祷をお願いするにはより高いお金が必要になります。
お賽銭もそうなんですが、高い方がお願いを聞いてもらい易いとか、何か意味があるのか知りたいです。
気付くと心の中に浮かんで来たあいゆめさんの言葉
金額に意味はない。
キミたちが神と崇める高次の存在は、お金で動くわけではない。
だから金額には意味は全くない。
これは気持ちの問題だ。
高次の存在はお金の有無でキミたちに何か働きかけることはない。
キミたちが求めたとき、既にその願いは達成されている。
もう準備されているんだよ。
あとはキミたちが受け入れれば良いだけだ。
キミたちにとっては、受け取った瞬間に「願が叶った」と感じることになるだけだ。
そうだとしたら、お賽銭やお布施は不要ということですか?
願いを叶える点については不要だ。
しかし社寺の維持管理にはお金が必要になる。
キミたちが願いを伝える場として拠り所にしている場所は、誰かが維持管理している。
そのおかげでキミたちは願いを伝えることができている。
そのお礼としてお賽銭やお布施を納めていると考えると良い。
お礼ですか?
そうだ。
お願いを聞いてもらうための代金ではなく、その場を提供してもらっていることに対するお礼と考えれば良いんですね。
そうだ。
だから金額そのものは大切ではない。
キミたちの感謝の気持ちさえあれば良いんだ。
わかりました。
今まで少額のお賽銭を納めるのは少し申し訳ない気持ちになることもあったのですが、気にしなくて良いんですね。
全く気にすることはない。
わかりました。
これで心苦しさが減りました。
他にもお守りとかいわゆる「モノ」をいただくことがありますが、これにはどんな意味があるのか知りたいです。
本来お守り等は必要ない。
気持ちが大切なんだからね。
しかしキミたちの願いや気持ちは目に見えないものだ。
それを「モノ」として象徴化することで、より明確に物質として感じられるようになる。
具体的な「モノ」として感じられるから、具体的にイメージし易くなる。
その結果、より実現し易くなる。
お守りという形で常にイメージし易くするための意味があるのだよ。
なるほど。
確かに心の中でのお願いだけではその願望を維持することは難しくても、お守りがあるだけでおお守りをみるだけで意識することができます。
常に願望実現をイメージすることもできるからね。
そうですね。
お守りを見ればまた気持ちはリセットされ、新たなエネルギーが発せられる。
だから叶い易くなるんですね。
そうだ。
納得です。
今日もありがとうございます。
とても楽しかったです。
また話をしてください。
よろしくお願いします。